人智学的つれづれ草

日常の体験と人智学で学んだことを結びつけ、広げます。

不協和音の役割について思ったこと

醜悪で冷淡だが必要なものとは何だろう?などと考えてみたとき、浮かんだのが、ある種の「反面教師」という言葉だったが、ちょっと単純すぎる気がしていた時、「題名のない音楽会」という番組で「不協和音」の音楽を扱っていて、大変勉強になった。

指揮者が言っていて衝撃だったのは、不協和音は「必要悪」である、という言葉だ。その意味合いは特に説明していなかったので、必要悪?である不協和音が、なぜ人を魅了するのか考えてみた。

① 不協和音は、緊張・不安・ある種の期待と葛藤を生み出し、協和音への移行によって、それらが解消するような気分になれる。
② 不協和音自体が、苦悩・悲しみ・怒り・狂気・混沌・陰影など、単純な協和音だけでは表現しきれない複雑で奥深い感情を表現でき、人はそのことに共感できる。
③ 哲学的・比喩的に捉えると、「悪(不協和)」が存在しないと「善(協和)」のありがたさや意味がわからないという思想にも通じる。
④ 意図的に音を“壊す”ことで新しい美を想像している。

人智学では、不協和音の解釈として、「音楽における不協和音の使用は、人間が自由になるためのひとつのプロセス」である、としている。このプロセスは、決められた価値観や社会的な規範からの脱却=自由の獲得という意味に読める。不協和音は人の魂が物質界で生きて行くうえで必然的にともなう「ズレ」「分裂」「苦悩」の響きであり、魂と物質の緊張関係を音楽的に表現するものと見なしている。社会的には、多様性の容認や個人の異質性の受容にもつながるようにも思える。

個人的には、バッハの無伴奏バイオリン・パルティータ第二番(シャコンヌ)のクラシックギター編曲のものを時々引くのだが、13分くらいかかるこの曲の真ん中あたりで一か所、絶妙な不協和音が入る。その一秒ほどの不快感?のあと、至福の解放感に浸れる。こんな喜びは、ちょっと他ではめったに味わえない。