人智学的つれづれ草

日常の体験と人智学で学んだことを結びつけ、広げます。

「文化か虐待か 動物行事で刑事告発相次ぐ」を見て

このような題のテレビ放送を見て、色々考えさせられることがあったので書く。

動物にまつわる神事や祭り、闘牛など、動物を使った伝統的な行事や貴重な文化とされているものが国内や世界で論争になっており、動物虐待の疑いで複数の動物愛護団体から刑事告発されている、という内容だ。

ある学者が次のような発言をしていることが気になった。

「人類は長い時間をかけて、利用するために家畜という動物を生み出しています。身近にいる犬、豚、牛、鶏など、すべて人が作り出した生き物です。そして、現代の私たちも食べ物や医療技術、医薬品の開発といったところで、私たちの生活自体が動物によって支えられていると言っても言い過ぎではないと思います。そのために動物を使うこと自体を一切やめるべきだという主張については、現実的ではないのではないかと考えています。」

それでは、どうすればいいのか、という問題には答えていない。

文化か虐待か、という二択以前に、食肉という行為はどうなのだろうと、調べてみたので、その一端をご紹介する。食用に供されるために殺される動物の数と方法についてである。

年によって変動はあるが、世界全体で年間約800億~1000億頭以上と推定されている。魚を含めた場合は総数は数兆匹規模にのぼると見られている。出典は、国際連合食糧農業機関、Our World in Data(Oxford大学関連プロジェクト)、World Animal Protectionなどの動物福祉団体である。

さらに、ちょっと気が引けたが、動物の「処理方法」も調べてみた。
まず、動物を苦しませずに意識を失わせるための処置方法としては、牛は、ボルトガン(脳に金属棒を打ち込み気絶)、豚は電気ショックまたはCO₂ガス、鶏は、電気水槽またはCO₂ガスだそうだ。次の処理として、大動脈や頸動脈を切開し、出血死させる。これは心臓の鼓動がある状態で放血することで、血液を効率的に排出させるためだという。

科学実験のために殺される動物の数は、世界全体で年間およそ1億匹以上と推定されているようだ。アメリカではラット・マウス・鳥類が実験に多く使われているが、これらは動物福祉法の対象外であり、統計に含まれないため、実際の使用数は5000万匹を超えるとも言われている。

なんと、アメリカでは、ネズミや鳥は動物福祉の対象になっていないのだ!

私は、決して肉を食べてはいけない、などと言うつもりはない。科学が進歩するのは、人類の大切なプロセスだ。

人智学の認識では、動物は殺される直前大変な不安感と恐怖感を感じるという。人間と同じように、感情を持っているからだ。人が肉を食べるとき、それらのマイナス感情も「食べている」と考える。唯物主義者だったら、笑い飛ばすような考え方だ。人智学ではこのように普通の常識では考えられないような認識を持っている。現在では、すべての人が菜食主義者になることはできない。肉を食べることを「虐待」とは、まだ言えないだろう。