NHKスペシャルで、「創られた“真実” ディープフェイクの時代」というドラマ・ドキュメンタリーを見て、大変な衝撃を覚えた。それと同時に、番組を見ながらすぐに神智学でいわれている、死んで直後の世界とすごく似ていることに驚いた。死後の世界が本当にあるかどうかを問題にしているのではなく、あくまで神智学で言われていることとの比較である。
このドラマは、ディープフェイクの会議によって個人情報が流出したことを軸にして展開されるのだが、私が注目したのは、AIによって故人がまるで生きているときのように、残された家族と会話をする場面である。家族は、その会話から逃れられなくなる。このような状態になることに対して、「人の精神衛生に害を及ぼす可能性」が指摘されているが、ドラマではなく現実の社会で、死者をAIで復活させるサービスは増えている。AIで作られた死者のことを、「生成ゴースト」と呼んでいるそうだ。ハリー・ポッターの映画で、「希望の鏡」の中の両親に見入ってしまい、そこから離れられなくなった場面も思い出す。
故人とほとんど同じ言動をする像に夢中になってしまう心理は、本当によくわかる。何かしゃべったら優しく答えてくれる。私もできることなら両親と今すぐにでも話をしてみたい。
それでは、“精神衛生への害や懸念”はどのようなものだろうか?この際だからAIそのものに聞いてみたところ、次のような回答が返ってきた。
AI : グリーフ(喪失の悲しみ)の処理の妨げ
故人の「模倣体」に没頭することで、現実の死と向き合うことを避け、喪失を受け入れるプロセス(悲嘆のプロセス)が中断される可能性があります。
人間の私 : 悲嘆を乗り越えることによって、人は強くなれるのだと思う。
AI : AIが再現する故人像は、限られたデータや主観的な記録から生成されるため、実際の人物像とは異なる可能性が高く、「偽の人格」として記憶が改ざんされる危険もあります。
人間の私 : SF映画ではなく、人間の脳神経にある「データ」を機械にコピーする研究もあるそうで、とても恐ろしく感じる。
AIによる総括 : 故人の再現によって「もう一度会いたい」という人の切実な願いに応えることは、ある意味で人間らしい行為です。しかし、それが現実逃避や精神的依存、人格の歪曲、倫理的逸脱を引き起こす可能性もあるため、慎重に扱う必要があります。
神智学の認識によると、故人のエーテル体(気のようなもの)はかなりの間失われず、そのエーテル体は個人が生きていた時と全く同じようにふるまい、考え、人格・習慣・感情をも持っており、創作さえする。それらは本物の意識ではなく、自動反応的・反射的な残影であるとされる。言わば“幽霊”。「ディープフェイク」との類似性は、「形だけ残る知性の模倣」や「意識の不在のままの再現」という点に共通している。両方とも「魂なきリアリズム」と言っていいだろう。両者ともに「かつて存在した意識の影を、技術的あるいは霊的な形で再現する」という点で酷似している。技術か霊かの違いだけだ。コンピュータ技術が行き着いたものと、霊的な考え方が似ているというのは、量子力学が魂の領域に食い込みつつあるようなものだろうか?
しかし、なぜ人間は、魂なき模倣物に「人格」や「意図」を投影しようとするのだろう?