本当に久しぶりに朝ドラを録画で見るようになった。「あんぱん」のことである。尊敬するやなせたかし先生の、奥様を描くというので、見ることにしたのだ。
「君もアンパンマンになれる」という特集番組を見たことも影響した。その番組では、爆笑問題がやなせ先生を訪問し、色々とインタビューするというものだった。私は、アンパンマンを見て育った世代ではないのだが、なぜか強い興味をもって見てしまった。
その番組の中で先生のおっしゃった言葉で、印象深いのは「自分の頭を食べさせるヒーローは世界にもいませんよ」とか「正義というものは自分をいくらか犠牲にしないとできない」とか「勇ましい話でないと受けませんと言われたが、子供は素直に反応した」などである。
また、「人にはいい心と悪い心が両方必ずある。」バランスこそが大切なので、片方がなくなるとダメ、ともおっしゃったが、これは、ばいきんまんのことである。ねずみ男がいないとダメとおっしゃった水木先生と同じだなと思った。
私が一番興味を持ったのは、“自己犠牲”ということである。自分が持っているもの、所有しているものを与えるのは、自己犠牲とは言わない。最近ある大富豪が20兆円ほど寄付すると言っているそうだが、それは別物である。
自分の頭をかじらせるというのは、幼児だから受けたのだと先生ご本人がおっしゃっているが、まったくその通りだと感じる。大人の世界は、全く逆のエゴの世界だからだ。もっとも幼児のこころに戻ることができれば、この自己犠牲の意味を思い出せるかもしれない。
アンパンマンとルドルフ・シュタイナーにも共通の思想が見て取れる。利他的精神のことだが、シュタイナー教育でも「他人のために生きる力」を育むことを重視する。また、子ども自身の内的欲求を重要視したのだが、子供の内的欲求とは、どこから出で来るものなのかを考えると、非常に深い起源を探ることになる。魂の起源とも言えるものだ。やなせ先生は、「幼児だから受けた」とおっしゃっているが、幼児は大人より深く敏感な人間精神を持っているような気がする。
随筆集『アンパンマンの遺書』を読んでみたが、戦争体験、弟の戦死、芸術家としての苦悩、自らの老いなどが語られており、「人間はなぜ生きるのか?」という根本的な問いを投げかけてくる。「ほんとうの正義というものは、けっしてかっこうのいいものではないし、そして、そのためにかならず自分も深く傷つくものです。」とも書いている。
テーマソングでは、こんなことをうたっている。
なんのためにうまれて
なにをしていきるのか
わからないままおわる
そんなのはいやだ!
私は、この深い意味が分かっているだろうか? わからないまま死んでいくのは、やはりいやだ…。