東京メトロ南北線東大前駅で切りつけ事件が起こったが、いずれ、犯行した人は裁判にゆだねられ、法律上、相当の償いをすることになる。
しかし、私は犯人を憎む気が起きないどころか、今の社会の闇がまさに顕在化した事象だと思う。
本人は、「教育熱心な親のせいで不登校になり苦労した」、「世間の人たちが教育虐待を連想しやすいと思ったから」と供述しているそうだが、その言葉自体は本当に正直なものだと思う。
シュタイナー教育の人間観では、子供のころに刻まれた体験は、無意識に生き続け、成年になっても深く残ることを把握している。今回の例は、ほんの一部に過ぎない。
教育虐待とは普通、親などが過剰に進路選択や成績評価に介入し、子どもの人格を否定したり心身を傷つけたりする行為を指すと言われている。過去には、実際に起きた事件が少なからずあり、母親が大学受験のために9浪を強制し、結局母親を殺害した例、中学受験を機に父親の暴力や説教が増え「いつか仕返ししてやると思うようになった」例など、児童虐待の被害者のうち教育虐待があったのは、3割強という調査結果もある。
親に懲役刑を言い渡した裁判官は、「異常ともいえる母の干渉や監視があった」などと言っているが、異常にしているのは何だろうか?問題の原因は親であるというのは短慮すぎる。親にそういう強制行為を強いているのは、現代の競争社会そのものだからだ。
東京弁護士会では、“親が子どもに対し、良い成績を取るために強いプレッシャーをかけ、子どもの人格をも否定して執拗に勉強を強要し、その結果、子どもたちが心身共に疲れ果て、追い詰められて・・・。”という「もがれた翼」というお芝居を作ってきたそうだ。大変よい試みと思うが、あまり知られていないような気がする。
シュタイナー教育では、その子の本当の生き方を引き出すことを重要視しているが、最近のテレビ番組で「博士ちゃん」とかいうのを思い出した。自分の好きなことを徹底的に追求する子供たちの話だ。大人顔負けの知識をひけらかすのは、まるで大人みたいで、ちょっと抵抗があるが、みんな生き生きとしている。行きたくもない大学になんか行かなくてもいいんだ、という気さえしてくる。大学で博士号を取った人や大企業の役員になった人を、何人も知っているが、本当に様々だ。人の好い人格者と言える方もいれば、全くそうでない人もいる。
よい学校に行かせたいという親心はもちろん善意から出てくるのだが、どこかで何かに狂わされているのを感じる。