人智学的つれづれ草

日常の体験と人智学で学んだことを結びつけ、広げます。

都会の虹を見て、思ったこと。

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窓の虹
<昨日夕方、住まいの窓から思わず虹が見え、夢中で写真を撮ってしまった。虹自体は、別に珍しくもないのだが、ビルの谷間にかかっている姿を見ると、なぜか心が動かされてしまう。

ただ、それだけの話なのだが、「虹とは何であるのか」という問いは、古代から人類が問い続けてきた現象であることを思い、つい色々調べたり、思い出したりしてしまった。

現代の物理学では、このように定義される。「虹とは、大気中に浮遊する水滴の中を光が通過する際に、分散することで特徴的な模様が見られる大気光学現象である。」
これが唯一正しいと言っておかないと、現代では、おかしな者とみなされてしまう。
ニュートン、ゲーテ、アインシュタインを経て、今はこのような表現になっているようだ。

いっぽう、昔はどのようにとらえていたのだろうか?
古代ギリシャでは紀元前300年頃まで、中国では西暦1000年頃まで、日本では西暦1200年頃まで「虹は生き物だ」と考えられていたようだ。各地の神話でも、様々な見方があったようで、例えば、

・ギリシア神話ではイリスという伝令の女神そのものとされる。
・北欧神話では虹は天上の神界に通ずる橋とみなされた。
・ブリヤート人のシャーマニズムでは虹は魂が天に昇る道であると考えられた。
・日本神話ではイザナギとイザナミが虹を渡って下界に来たとされる。
・インドでは虹はインドラ神が雷の矢を放つ弓であるとみなされた。

ここで思ったのは、古代人はなぜこのように虹を見て、それが神話になったのか?ということだ。現代物理学から見れば、荒唐無稽と言えるのかも知れないが、もしかすると古代人は、このような女神や橋や道や弓を本当に見ていたのかもしれない…。
もちろんそれを現代的な方法で証明することはできないが、証明できなくても価値のあることはたくさんある。

神話は、非常に深い世界観、人類観を持っていると思うが、現代では単なるファンタジーとみなされているのではないだろうか?ちなみに、人智学ではこのように言われます。
「虹の中で活発な地水火風の霊が見える。虹の赤と黄色の部分から絶えず地水火風の霊(天使群)が出てきます。そして、虹の緑の部分の下端まで来ると、引き寄せられるように、緑と青の部分に消え入っていきます。それらは、大きな勇気をもって、虹の中に消え入ります。橙色の部分からは、恐怖が流れ出ています。青紫の部分を見ると、“ここには勇気が生きている”と、感じられます。」
もう、この辺でやめておきますが、人智学の認識では、このようなものを見ます。きっと、神話的、詩的に見ているのだな、と思っていただければよいかと思います。

最後に、Over the Rainbowの歌を思い出したので、一部だけ載せておきます。

世界がぐちゃぐちゃに混乱し絶望に包まれ
そして雨粒があたりに降り注ぐとき
天国が魔法の道を開いてくれる
雲たちが空への道を暗く閉ざすとき
そこに虹の道が現れる
あなたの部屋の窓から 雨を超えて太陽の向こう側へと導いてくれる道が