人智学的つれづれ草

日常の体験と人智学で学んだことを結びつけ、広げます。

「天平人も熱中! 古代のすごろく」を読んで

平城京で出土した土器から見つかった、すごろくに似た模様を復元したキットが作られたそうだ。簡単なルールだそうで、4本の細い棒「かり」を投げて、出た表裏の組み合わせで盤面の升を進む数が決まり、2組に分かれて駒が先にゴールについたほうが勝ち、というものだ。朝鮮半島の伝統的なすごろくの「ユンノリ」に似ているとのこと、中国の史書「隋書」にある遊びが伝わったと見られている。

この記事を読んで、双六というものは、ある共通点があるのではないか、と思った。明治から昭和にかけて発表された絵すごろくにも似ている気がする。有名な「人生ゲーム」にもつながるものがありそうだ。

すごろくは,「 振り出し」から始まり,色々な升を経て「上がり」という到達点を争う。ひとつの特徴は、まず“偶然”から始まる、という点だ。何かを投げた結果の表裏とか、サイコロの目とか、これは、自分ではコントロールできない。まさに、自分ではどうにもならない人生の一面を表している。人生ゲームのダイヤルもそうだ。考えてみると、人生思い通りにならないことのほうが多いような気がする。それをゲームとしているところが、面白いところだ。すごろくは、言わば仮想現実なのだが、案外、実人生の本質を見せているようだ。

すごろくには、単純に進むものだけでなく、分かれ道があったり、後戻りしたり、いいことがあったり、嫌なことが設けられていたりする。そして、最終的には、勝ち負けが待っている。これは、まさに人生の縮図としか言いようがない。それにしても、人は、なぜこのようなゲームに夢中になるのだろうか? 人生ゲームには、バブル経済とその崩壊や,金融破綻など世相を反映したものなど、社会の諸問題をテーマにしたものも出ていた。

子供にとってのすごろくは、これから先の人生のシミュレーションとして、意味があるのだろうが、大人がやる場合はどうなのだろう?占い代わりなのか、単なる娯楽なのか、「出世願望」の代替なのか? そういえば、昭和の初期に、「出世双六」というのが出たそうである。本質的には、現代のコンピュータゲームと変わらず、一種の「変容」「変身」願望の世界なのかもしれない。