人智学的つれづれ草

日常の体験と人智学で学んだことを結びつけ、広げます。

世界幸福度の測り方の愚かさについて

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世界幸福度 集計表
<世界幸福度は、国連が定めた国際幸福デーに合わせ、各国の人々に自分の生活を10段階で評価してもらい、順位をつけている。

その方法とは、社会的支援の充実度や人生の自由度など「人生に対する幸福度」を「最良の生活」を10、「最悪の生活」を0として聞き取り調査を行い、10段階評価で表現したものだそうだ。

どんな質問をしているのかが、とても気になって調べてみたら、主に下記のようなものであることがわかった。

1 1人当たりのGDP (対数)
2 社会的支援の有無 (ソーシャルサポート、困ったときに頼ること
ができる親戚や友人がいるか)
3 健康寿命
4 自由の感覚 (人生で何をするかの選択の自由に満足しているか)
5 他人への寛大さ (過去1か月の間にチャリティなどに寄付をした
ことがあるか)
6 腐敗の認識 (不満・悲しみ・怒りの少なさ、社会・政府に腐敗が
蔓延していないか)

これらの評価項目を数値化しているという。ランキングするという行為には、おそらく世界中の国々の人々に幸せになってほしい、という善意や祈りが動機になっているのだと想像している。

問題は、量的なことと質的なこと(主観的なこと、思い、感情など)を言わば掛け合わせて判断していることだ。数字や事実と心情を掛け合わせて評価している、といってもいい。ランキングする以上、質的なことも数値に変換せざるを得ない。「どんなことでも10段階で答えてもらえば、およそのことはわかるだろう」と考えているようだが、本質的に違うような気がする。極端な例を言えば、大金持ちが多額の寄付をして、その行為への評価に酔いしれ、満足している人は、“幸福”だろうか?
また、そもそもなぜこの項目なのか?どうやって選んだのかがわからない。おそらく偉い専門家たちが協議を重ねて、苦労して出したものなのだろう。でも、根本的なことがわかっていない気がする。例えば、人間の“寛大さ”ひとつとっても、単純な質問で測れるものでないことは、子供でも分かるだろう。
各メディアは、日本の順位が低い理由はなぜなのか、という分析ばかりしている。それぞれがなるほど、と思わせることばかりだが、幸福とは明らかに、質の世界である。言い換えれば、精神世界の問題でもある。国連は、善意で行っているのだが、賢いこととは言えない。