あるベテラン俳優が、「どうすれば悪役が酷く見えるか、腐ったやつに見えるかを追求していました。」と書いていたのを読み、この人は誠実な人なのだなと、すぐに思った。この人は、その後、悪役に“磨き”をかけたようで、「俯瞰したときに自分の役が悪に見えても、演者は善だと思って演じる必要があるのだと思います。」と、心境の変化を自覚していた。“善だと思って(悪を)演じる”ということの真意は、かなり深いものがありそうで、ますます興味を持った。
最後に「善と悪は簡単に切り離せないのではないでしょうか。悪と善があってこの世界は成立している。そんな世界に自分はなぜ生まれてきて、何を成し遂げて死んでいくのか、それが日常会話で見えてくるような映画をいつか監督したい。」とおっしゃっている。
私は、演劇は全くの素人だが、何となく善人役は、面白みがないように思ってしまう。本当の悪を常日頃実践していない人にとっては、新たな感情や行動の表現を学ぶきっかけになりえる。悪人には、そうなった動機や背景、何らかの限界状況にうなずけるような理由があることが多く、これを表現することが役者にとって新しい挑戦になるのではないだろうか?それにはおそらく、役者は、普段の自分とは異なる部分を引き出す必要がある。異なる部分は、たいてい意識下の深いところにあり、それを引き出すことによって、自己認識や自己成長を促進することもあるだろう。
勧善懲悪的な脚本に登場する悪人は、ただ最後に文字通り懲らしめられて終わりだが、そんな単純な劇は、見ていて爽快でストレス発散になり、楽しいのだが、演じている俳優の内面は変化しているのだろうか?