人智学的つれづれ草

日常の体験と人智学で学んだことを結びつけ、広げます。

備蓄米の放出の話題で、全く関係のない「備蓄」を思い出したこと

お米の高騰でとうとう、備蓄米の放出が始まるようだ。お米の値段が下がるならこんなに良いことはないと思うのだが、「備蓄」という言葉だけにとらわれて、人智学で言われたあることを思い出してしまった。それは、“勇気の備蓄”という考え方だ。
人智学では、勇気とは、“人々が自分の限界を乗り越え、未知の領域に足を踏み入れること”が、真の勇気だと考える。これは、ごく普通の考えだと思うが、自分のことを振り返ってみると、何につけ、多くの場面で多少とも“臆病”にふるまってきたことを思い出す。
人智学では、大胆さについて、「目の前の困難や不確実性に対して、恐れを乗り越え、自分の信念や目標に従って行動するという意味での大胆さ、この大胆さは、自己の成長や他者との共感、そして宇宙的な真実を追求する過程の中で現れるもの」と言われる。
自分の経験によると、大胆さは、なかなか身につかない。そのように装っているだけのような気がする。そこには必ず「他者」がいるからだ。「他の存在と融合し、かつ自己を保つ」というテーマは、人智学の思想においても非常に重要といわれているが、この「融合」は無条件に他者に溶け込むことではなく、自己の本質を保ちながら他者との調和を図ることが求められる。「自己の発見」とも大きく関連している。言い換えると、他者と融合しながらも、自分自身の個性を維持し続けることとも言える。この過程には、強い勇気が必要になる。なぜなら、他者と一体化する過程で自分を見失うことなく、自己を確立し続けることは精神的に非常にチャレンジングであるからだ。
世界には、恐れを引き起こすような未知の力や存在もあり、それに立ち向かうためには、信じられないほどの勇気と信念が必要になることもある。瞬間的な勇気だけでなく、それを常日頃“ためて”おく必要がある。
私の今までの人生の日常は、チャレンジングだったろうか、と、つい思ってしまった。