テレビでレタス工場の取材をしていた。ピンク色の発光ダイオードで光をあて、育てているという。そんな所もあるんだな、という知識が得られ、現代の農業の一端を知ることができ、勉強になった。
気になったのは、レタス「工場」という言い方についてなのだが、食物を作るところに、工場と名をつけていることの違和感が私にはある。食物に関する製造業や加工業では、効率的な生産を目的としているので、「工場」という名称が使われることは当たり前になっているし、言い方など気にしなくてもいいようなものだが、何か感覚的に釈然としない。
工場という名を使うと、物と生き物を同列に扱っているような気がするのである。動物や植物が工場内で加工・生産される場合、「生き物」を「物」として扱っているという印象を与える。工業的な視点で食物を生産・加工するため、命を扱うことに対する感覚が薄れてしまっているということはないだろうか?その傾向が、どんどん強くなってきている気がする。この考え方が広く浸透していくと、物と生き物の違いが曖昧になってくる恐ろしささえ感じる。
科学技術の発展が、人間と動植物との関係を物質的なものとして捉える傾向を強めたことは、周知の事実だが、その背景には、「生命とは何か」という問いに対して、私たちが明確な答えを持っていないこともあげられる。生命の本質を理解しない限り、その取り扱いや価値についても明確な基準は見えてこない。
「安く食べられればそれでいいのだ」という意見が大多数だろうし、自分の中の肉体も、そのように言っている。昨日もソーセージ工場で作られたおいしいソーセージをつまみに、ビール工場で作られたうまいビールを堪能した…。
食物が“どのように”生産されるかに対して、関心を持つことはタブーなのだろうか?
食べ物の栄養価が段々減っている、という声も聴く。その理由を調べると、①化学肥料や農薬が多く使われて、これが土壌の健康に影響を与え、栄養価が低下する。②品種改良は、収穫量を増やすために行われてきたが、栄養素の含有量が重視されないことが多かった。➂保存性を高めるために冷凍や加工されることが多いが、これにより栄養素が失われることがある。➃現代の食生活では、加工食品やファーストフードが増え、栄養価が低い食品を摂取することが多くなっている。以上の理由を考えてみると、作る側だけでなく、私(たち)の食意識にも原因があるようだ。